日本人が最も活躍するのが難しいリーグと言えば
リーガエスパニョーラ
ですね。
リーグのレベルが高いことはもちろんのこと、欧州圏外以外の外国人枠が3枠しかないことから、南米やアフリカなどのレベルの高い選手としのぎを削る必要があるというのが大きな理由です。
そんなリーガエスパニョーラで最も活躍した日本人選手と言えば
乾貴士選手
だと言われています。
2022年よりJリーグセレッソ大阪へと復帰したのもつかの間、2022年6月9日に契約解除が発表されました。
そんな今後の行方も気になる乾選手についてまとめてみました。
wiki風プロフィール
名前:乾貴士(いぬいたかし)
生年月日(年齢):1988/6/2(34歳) ※2022年6月時点
ポジション:FW、MF
利き足:右足
出身地:滋賀県
ユースor高体連:高体連(野洲高校)
現所属チーム:未所属 ※今後更新予定
過去所属チーム:セレッソ大阪、SDエイバル、アラベス、レアル・ベティス、フランクフルト、VfLボーフム、横浜F・マリノス
日本代表歴:U-21、A代表
Twitter:https://twitter.com/takashi73784537?s=20&t=gIvlPg9HDWgYyzu7uR-wWQ
Instagram:Takashi Inui/乾貴士(@takashi.08) • Instagram写真と動画
経歴
プロ入り前
滋賀県出身の乾選手は、地元のセゾンフットボールクラブでプレーをしていました。
ちなみにセゾンフットボールクラブからは乾選手含む13名のプロ選手を輩出しています。
セゾンフットボールクラブで技術を磨いた乾選手は、野洲高校へと進学します。
高校2年生の時、1学年上の楠神順平選手・青木孝太選手(二人ともセゾンフットボールクラブ出身)らと共に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝し、セクシーフットボール旋風を巻き起こしました。
3年生の時も選手権に出場しますが、残念ながら3回戦で敗退しました。
Jリーグ
野洲高校卒業後はJ1横浜F・マリノスへと入団します。
セレッソ大阪のイメージが強いので、マリノスからキャリアが始まったというのは意外でした!
しかし分厚い戦力の壁に阻まれ、在籍期間でのリーグ戦出場はわずか7試合となり、ゴールも奪えませんでした。
そういった経緯もあり2年目の途中からセレッソ大阪へとレンタル移籍します。
移籍後から香川真司選手と息の合ったプレーを見せ、あっという間に中心選手になり、移籍2年目にはリーグ戦47試合出場20ゴールと大爆発し見事チームをJ1へと導きました。
ドイツ
Jリーグでの活躍が認められ、2011年8月1日にドイツ2部VfLボーフムに完全移籍を果たします。
欧州1年目でしたが、レギュラーの座をつかみ、リーグ戦30試合出場7ゴールとチームトップのゴール数を記録しましたが、残念ながらチームの1部昇格はなりませんでした。
しかしその活躍から、翌年はドイツ1部に昇格したアイントラハト・フランクフルトへと移籍し、2012-2013シーズンのドイツ1部日本人最多となる6ゴールをあげる活躍をみせました。
翌年は出番を減らしましたが、その次の年は安定して出場機会をえることができました。
スペイン
ドイツでの活躍もあり、2015年8月27日にリーガエスパニョーラのSDエイバルへと完全移籍を果たします。
乾選手曰く、スペインでプレーすることは念願だったとのことです。
乾選手のプレースタイルからも、そう願うのは自然なことですね。
スペインにわたってからもすぐに主力に定着し、2015-16シーズンから3シーズンにかけて安定した成績を残し、チームの1部残留に大きく貢献してきました。
その功績もあり、2018年6月1日にスペインの強豪レアル・ベティスへとステップアップを果たし大きな話題を呼びました。
同年開催されたロシアワールドカップでも大活躍を見せたことでベティスサポーターから「ええの獲ったで~」と喜ばれたそうです。
しかし大きな期待を受けた中、ビッグクラブで定位置を奪えず、同シーズン途中からデポルティーボ・アラベスへとレンタル移籍をすることになりました。
同チーム移籍後輝きを取り戻し、日本人選手史上初となるリーグ戦100試合出場を果たしました。
2019年7月24日にはふたたびSDエイバルへと復帰を果たします。
エイバル復帰後は再びレギュラーとしてプレーし、日本人そしてアジア人としてリーガエスパニョーラでの最多出場記録保持者(166試合)となるほどの活躍を果たしました。
乾選手にとって、アラベスの空気や戦術があっていたのかもしれません。
2020-2021シーズンでチームは残念ながら2部降格となってしまったことを受け、チームを去ることが決まりました。
帰国(セレッソ大阪)
2021年8月31日にJ1セレッソ大阪へ復帰することが発表されました。
背番号は移籍前に着けていた7も用意されていたそうですが、海外移籍を果たした際の年齢であった23を選択したそうです。
2022年1月17日には、自ら志願して歴代エースが背負った背番号8へと変更するなど、強い想いをもってプレーしていたようです。
しかし4月5日の柏レイソル戦で途中交代となった際暴言を吐くなどしチームの規律を乱したということで、メンバーから外れ一時プレーできなくなりました。
その後復帰するかと思われたのですが、6月9日に契約解除となりました。
日本代表
U-21代表としてのプレー経験もありますが、2009年1月20日のアジアカップの予選でA代表デビューを果たします。
その後A代表の中心選手としてプレーする機会は多くなかったのですが、スペインで活躍するにつれ徐々に出場を増やしていきます。
ただ、キャリア最盛期の中迎えた2018年ロシアワールドカップの代表に選出される可能性はそこまで高くなかった中、監督が西野朗監督に代わったことで、滑り込みで選出されます。
当初はレギュラーではなかったのですが、パラグアイとの調整試合で2ゴールを奪う活躍をみせ、本大会でスタメンを奪取します。
本大会では、グループリーグのセネガル戦と決勝トーナメント1回戦のベルギー戦でそれぞれゴールを奪うなど、日本代表の中でも最も活躍した選手の一人となりました。
プレースタイル・特徴・動画
- カットインシュート
- コースカットプレス(守備)
乾選手といえば、やはりロシアワールドカップでのゴールシーンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
左サイドでボールを受け、中に切り込みペナルティエリア外から見事なミドルシュートを2本決めていました。
また乾選手はシュートやドリブルのイメージが強いですが、守備の名手としても知られています。
プレスをかける際に闇雲にかけるのではなく、相手のパスコースを切りながら戦略的にプレスし、高い位置でボールを奪う守備が特徴的です。
こちらはJリーグでのゴールシーンです。
個人技で相手をかわすというより、味方との連携でゴールを奪うのが特徴のように思えます。
成績
2007年
7試合出場(J1 横浜F・マリノス)
2008年
20試合出場6ゴール(J2 セレッソ大阪)
2009年
47試合出場20ゴール14アシスト(J2 セレッソ大阪)
2010年
33試合出場4ゴール10アシスト(J1 セレッソ大阪)
2011年
14試合出場5ゴール2アシスト(J1 セレッソ大阪)
2011-12年
30試合出場7ゴール5アシスト(ドイツ2部 VfLボーフム)
2012-13年
33試合出場6ゴール8アシスト(ドイツ1部 フランクフルト)
2013-14年
14試合出場(ドイツ1部 フランクフルト)
2014-15年
27試合出場1ゴール8アシスト(ドイツ1部 フランクフルト)
2015-16年
1試合出場(ドイツ1部 フランクフルト)
27試合出場3ゴール4アシスト(スペイン1部 SDエイバル)
2016-17年
28試合出場3ゴール4アシスト(スペイン1部 SDエイバル)
2017-18年
34試合出場5ゴール2アシスト(スペイン1部 SDエイバル)
2018-19年
8試合出場(スペイン1部 レアル・ベティス)
12試合出場2ゴール(スペイン1部 アラベス)
2019-20年
29試合出場2ゴール4アシスト(スペイン1部 SDエイバル)
2020-21年
28試合出場1ゴール(スペイン1部 SDエイバル)
8試合出場1ゴール2アシスト(J1 セレッソ大阪)
2022年
5試合出場3ゴール1アシスト(J1 セレッソ大阪)
今後の動向
本人としても、またサポーターとしても不本意な形でセレッソを去ることになりました。
「大好きなサッカーを続けていくため」とコメントしていたことから、引退は考えにくいです。
6月9日時点ではまだ移籍先は発表されてはいませんが、慣れ親しんだスペインの2部のクラブや、盟友香川真司選手がいるベルギーなんかが怪しいのでは?と個人的には睨んでいます。(どうなる…?)
なお、現在(2022年6月時点)の市場価値はおよそ「130万ユーロ」となっております。
※transfermarket参照