ということでこの記事ではオーストリアの1部リーグ「オーストリア・ブンデスリーガ」について調べております。
なお歴史・レギュレーション・放送/視聴などの情報はこちらをごらんください!
強豪クラブ
CL/ELでもよく目にする代表的な強豪クラブ・歴史あるクラブは以下です。
- FCレッドブル・ザルツブルク
- SKラピード・ウィーン
- SKシュトゥルム・グラーツ
- FKアウストリア・ウィーン
- FCヴァッサー・インスブルック
それぞれの概要もまとめました。
①FCレッドブル・ザルツブルク
1933年創設のザルツブルクを本拠地とするクラブ。
創設時はSVアウストリア・ザルツブルクというチーム名だった。
1953年に1部リーグに昇格し、1971年にはリーグ戦とカップ戦で準優勝を果たすなど躍進したが、その後は1部と2部を行ったり来たりするような状態だった。
財政的にも問題を抱えており、同じくザルツブルクを本拠地としたSAK1914ザルツブルクとの合併を自ら希望するも、先方に断られるほど状況は厳しく、長年弱小クラブとして細々と存続していた。
1990年代に入るとスポンサーのオーストリア・カジノ社が積極的に投資をはじめ、オーストリア代表選手やのちのドイツ代表選手などを獲得し、1994年にリーグ優勝を果たした。
1993-94シーズンはUEFAカップで準優勝し、翌1994-95シーズンはチャンピオンズリーグに出場するなど躍進を遂げたが、それ以降中心選手が抜けると一気に低迷し、一時は2部降格寸前まで弱体化した。
財政的にも問題を抱えていた中、2005年にレッドブル社に買収され、「レッドブル・ザルツブルク」として生まれ変わる。
2007年にリーグ優勝を果たすとその後は毎年のようにタイトルを獲得し、2014年からは現在までリーグ8連覇を達成。
近年オーストリアで最も成功したクラブとなった。
②SKラピード・ウィーン
1899年に創設された、ウィーンを本拠地としたクラブ。
1911年のリーグ創設時から1部リーグに所属する歴史あるクラブで、リーグ優勝も32回を誇り、同国最多となっている。
リーグ創設1年目に優勝を果たすなど力は圧倒的で、1930年までに10度リーグ優勝し、チャンピオンズリーグの前身となるミトローパ・カップで優勝1回・準優勝2回、アヤックスとの親善試合では16-2で破るなど、国際的に見ても力をつけたクラブとなっていた。
ナチス・ドイツ時代はドイツのチームと戦っており、1938年にはDFBポカール、1941年にはリーグ戦で優勝を飾っている。
戦後もその力は衰えず、1951年のミトローパ・カップは優勝し、その後の国際大会でも常に好成績をおさめてきた。
しかし国内リーグでは他チームの台頭もあり優勝から遠ざかるようになる。
特に近年はレッドブル・ザルツブルクの台頭もあり、最後に優勝したのは2007-08シーズンとなっている。
③SKシュトゥルム・グラーツ
1909年に創設された、グラーツを本拠地とするクラブ。
1994年にイビチャ・オシムが監督に就任後、リーグ戦準優勝・カップ戦優勝など徐々に力をつけ、ついに1998年にリーグ初優勝を達成し、翌年連覇も達成するなど黄金期を迎える。
チャンピオンズリーグにも出場を果たすなど、一気に躍進を遂げたが、そのために獲得した数々の選手の人件費が膨大になり、2006年に破産申告をした。
その後、2010-11シーズンにリーグ優勝を果たしている。
④FKアウストリア・ウィーン
1911年にウィーンで設立されたクラブ。
リーグ戦優勝24回、準優勝20回という国内屈指の名門クラブ。
戦前はミトローパ・カップの優勝と準優勝をそれぞれ2回ずつ達成するなど、国際的にも知られていたクラブであった。
2001年以降、優勝3回など含む3位以内を11回達成するなど安定した成績をおさめている。
⑤FCヴァッサー・インスブルック
1915年に母体となるクラブが設立される。
1920年にリーグに参戦するも、なかなか目立った成績をおさめることはなかったが、1970年代に黄金期を迎える。
ブルーノ・ペッツァイやクルト・ヤーラなどのオーストリア代表選手の活躍もあり、1970年代でリーグ優勝5回・準優勝2回、カップ戦優勝5回・準優勝2回など圧倒的な強さを誇った。
しかし1970年末に財政破綻により2部リーグへと降格するが、その後スワロフスキー社による買収で息を吹き返し、1989年と1990年にはリーグ連覇を達成する。
しかしスワロフスキー社の撤退によりまたも財政難となり、2000年~2002年までリーグ3連覇を達成していたにも関わらず、チームは破産により消滅した。
2002年に「FCヴァッカー・ティロル」としてチームは再出発し、2004年には1部リーグへと復帰している。
歴代日本人選手
北川航也(FCラピード・ウィーン)
中村敬斗(LASKリンツ)
財前淳(FCヴァッカー・インスブルック)
二田理央(FCヴァッカー・インスブルックU-23)
西田悠人(FCヴァッカー・インスブルックU-23)
※2022年1月現在
南野拓実(FCレッドブル・ザルツブルク)
奥川雅也(FCレッドブル・ザルツブルク)
三都主アレサンドロ(FCレッドブル・ザルツブルク)
宮本恒靖(FCレッドブル・ザルツブルク)
何人かの概要をご紹介します。
①三都主アレサンドロ
引用:https://www.football-zone.net/archives/274635
清水エスパルスでプロデビュー後、浦和レッズや日本代表で活躍した後、2007年にFCレッドブル・ザルツブルクへと1年間の期限付き移籍をした。
リーグ戦には11試合出場し、移籍初年度はリーグ優勝も経験した。
しかし、レンタル満了により2008年からは浦和レッズへと復帰した。
②宮本恒靖
1995年にガンバ大阪でデビュー後、2006年から2009年にかけてFCレッドブル・ザルツブルクへと移籍する。
移籍後はセンターバックだけではなくサイドバックもこなし、コンスタントに試合に出場してリーグ優勝に貢献。
1年間の契約だったこともあり、その後契約を延長し、2年目もコンスタントに試合にからむが、怪我や監督交代の影響を受けて出場機会が激減。
その後2009年にヴィッセル神戸へと移籍しJリーグ復帰を果たした。
リーグレジェンド選手
オーストラリアブンデスリーグにかつて所属していた名選手を何名かピックアップしました。
- ニコ・コヴァチ(元クロアチア代表、FCレッドブル・ザルツブルク)
- ハンス・クランクル(元オーストリア代表、FCラピード・ウィーン)
①ニコ・コヴァチ
引用:https://jp.rbth.com/lifestyle/79937-roshia-no-idai-na-soccer-senshu-lev-yashin
元クロアチア代表のMF。2002年・2006年のワールドカップに出場。
主にドイツブンデスリーガでプレーし、主にヘルタ・ベルリン、バイエルン・ミュンヘンなどで活躍。
2006-07シーズンから3年にわたってFCレッドブル・ザルツブルクでプレーしていた。
②ハンス・クランクル
引用:https://japaneseclass.jp/trends/about/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB
1970年にFCラピード・ウィーンへ入団すると、1973-74は36得点、1976-77は32得点、1977-78は41得点をあげリーグ得点王に輝く。
1977-78にいたっては、ヨーロッパ・ゴールデンシューも獲得している。
1978-79にはバルセロナへと移籍し、同年18得点をあげ得点王となり、ピチーチ賞も獲得している。
オーストリア人選手によるピチーチ賞の獲得は、ハンス・クランクルのみである。