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スペインで活躍する日本人と言えば、
久保建英選手、岡崎慎司選手、乾貴士選手、中井卓大選手
などがメジャーですよね。
では、吉村祐哉選手のことはご存知でしょうか。
え、知らない?
ちょっと、スペインサッカー語るなら、まずは吉村押さえとかないとまずいよ。
・・・って、私自身よくわからないのです。
すみません。
いきなり誰だ?って感じだと思いますが、吉村選手とは、日本で中学を卒業したのち、単身スペインへと渡り武者修行をしてきた強者フットボーラーです。
大変興味深いですよね?
というわけで今回はそんな吉村選手のことを調べてみました。
wiki風プロフィール
名前:吉村祐哉(よしむらゆうや)
生年月日(年齢):1998年3月(22歳) ※2021年2月現在、詳しい誕生日不明
ポジション:MF
出身地:東京
現所属チーム:ドン・ベニート(スペイン3部)
過去所属チーム:カニーバス⇒カルバンチェル⇒モラタラス⇒ラージョ・バジェカーノ(ユースB・A)⇒テネリフェU-23(スペイン4部)⇒アーロ・デポルティボ(スペイン3部)
経歴
日本時代
吉村選手は非常に珍しいキャリアを歩んできています。
ジュニア時代は杉野百草SSに所属し、中学にあがるころ東京ヴェルディのジュニアユースなどの様々なセレクションを受けるも、なかなか合格を手にすることができず結局FC多摩という街クラブを選択することになりました。
しかしここでもAチームになかなか昇格できず、B・Cチームを行ったり来たりするような選手で、実力的に見てもこの年代で突出するような存在ではなかったようです。
結局中学時代に目に見える結果を出すことができなかったことで、今後高校・大学へと進んでいくことに対して不安を覚えたようです。
明確に、〇〇チームのAチームでレギュラーだったといった結果がないと、良いチームへと進むことができないと、漠然と思っていたとのことです。
そうした中、このまま漫然と日本でサッカーを続けていいのかと考えたいた中、2010年南アフリカワールドカップでのスペインのプレーに魅了され、サイズも自身とさほど変わらないスペイン代表選手に自らを重ねて見ていたそうです。
そこで、スペインのサッカーは自分に合っているのでは?スペインでサッカーをすれば成長できるのでは?と思ったことが、若くしてスペインへと移籍した理由だそうです。
いや、それで普通いく?
すごすぎでしょ。
スペイン留学初期
というわけで、中学卒業後単身スペインへと渡ります。
これは移籍というよりかは、留学といったほうがしっくりくるかもしれませんね。
ちなみに、ヘタフェの久保建英選手は10歳の時に、レアルマドリードフベニールAに所属する中井卓大選手は9歳の時にスペインへと渡ったようです。
話を吉村選手に戻しましょう。
スペインへと渡った後、マドリードにある街クラブを転々とします。
カニーバス、カルバンチェル、モラタラスといったチームでその技術を磨いたそうです。
しかし、FIFAの規定上、18歳になるまで公式戦への出場ができなかったため、なんと3年間練習だけでした。
試合に出られないという中で精神的にもつらい時期だったかと思うのですが、そんな中で「なんでスペインにいるの?」「意味がない」「日本に帰れ」といった否定的な言葉も投げかけられたようです。
10代の若者にはさぞこたえたのではないでしょうか。
スペイン転換期
モラタラスでプレーを続け、首脳陣の信頼も得ていた中、監督の推薦によって強豪ラージョ・バジェカーノのBチームへの練習参加を行うことができました。
そのテストで見事合格をつかみとり、18歳になったタイミングでユース契約を締結し、即座にBチームでも主力となります。
「ラージョはそれまでの街クラブとは違い、グラウンド5〜6個、充実したジムもあって、まずは環境に驚きました。練習もプレースピードが速く、クオリティーも高くて、ワンミスが目立つというか、一つミスをすると、普通に1試合、2試合は出られなくなる。選手が23〜24人いるなかで、みんな上手いし、チャンスを待っていて、試合に出た時にはスタメン奪取を懸けてプレーし、逆にスタメンで出るメンバーはその座を奪われないように全力を尽くす。そこまでの緊張感は、ラージョ以前には味わったことがありませんでした。試合内容・結果よりもまずは自分の戦いというか、良いプレーをしないといけない。特別言葉に出すわけでなく、選手はみんな心に秘めていて、あの緊張感を作り出せる(ミチェル)監督は凄かったと改めて思います」
吉村選手はインタビューでこんなことを言っていました。
それほどこのチームで過ごしたことが自身の成長へとつながったのでしょうね。
そしてその後のキャリアを決める試合が訪れます。
2017年2月18日に行われたレアルマドリードユースAチームとの試合に右インサイドハーフで出場し、攻守両面で強烈なインパクトを残しました。
この試合をきっかけに、柴崎岳選手も所属していたテネリフェのBチームと契約を結ぶことになります。
現在
テネリフェのBチームはスペイン4部リーグで上位に位置しており、そのチームで背番号10を背負い、トップ下や左サイドのレギュラーとしてチームを引っ張る存在となりました。
日本にいたころの状況を考えると、時間はかかりましたが素晴らしい成長を遂げています。
その後、4部リーグの優勝やプレーの傑出度が評価され、3部のアーロ・デポルティボへと移籍を果たします。
3部へと舞台を移し、更なる飛躍を期待されたのですが、チームがリーグ最下位に沈む中若手の起用が限定的となり、なかなか出番を得ることができず、2021年2月1日に同じく3部のドン・ベニートへと移籍を果たすことになりました。
プレースタイル
トップ下やサイドやインサイドハーフなど攻撃的なポジションであればどこでもこなせるようです。
また、運動量も豊富で、裏への飛び出しなどスピードを活かしたプレーが魅力的です。
自分がラージョにいた時の監督、現在岡崎選手がいるウエスカの監督ミッチェルに毎日のように言われたのが
ボールが来る前の準備について先に周りの状況をみる
先に次のプレーを考える
体の向き
コントロール
レアル戦でのこのプレーはオフサイドだったが、言われてた事が形になった瞬間だった pic.twitter.com/P1h3oTcNtX
— 吉村祐哉 (@yoshimurazurdo) February 10, 2020
これはラージョ・バジェカーノ時代のプレーです。
オフサイドギリギリのところでの飛び出し。結果オフサイドとなってしまいましたが見事です。
今後の動向
移籍したばかりなので、すぐにどこかへという動きはないでしょうね。
本人もスペイン1部を目指してここまでがんばってきているので、次移籍があるとしたらそこを目指してのスペイン内での移籍になるのではないでしょうか?
なお、現在(2021年2月時点)の市場価値はおよそ「5万ユーロ」となっております。
※transfermarket参照